"年を重ねたロックミュージシャン—クラヴマガへの教訓".


Translation by Shiori Iwagaki


年を重ねたロックミュージシャン

イスラエルに生まれ育ったからには当然、私の好きな音楽バンドは“カベレット”(蜂の巣の意)である。彼らの歌の中にあるキャラクターの名をとって、親しみを込めて“プーギー”としても知られているが、これはメンバーの一人、メイア・フェニングシュタインのあだ名でもある。ヒット曲の中にこのようなフレーズがある。“ミ・シポレイ・プーギー・エフシャル・リルモド(プーギーの話から学べることがある)”そして確かにこれは事実なのである。

ダニー・サンダーソンはバンドの作詞作曲の多くを手掛けているバンドリーダーで、私とは同郷である。今は亡き彼の両親ハイムとレエナは私の両親の友人であり、アメリカからの移民仲間であった。ダニーが10代の頃、彼らの家族は数年ほどアメリカで過ごした。その時にダニーはギターのプレイや音楽そのものにビートルズは言うまでもないが、アメリカの影響を受けて帰ってきて、イスラエルのロックシーンを根本から変えることとなった。


私は今でもハイムさんが地元のシナゴーグにいるところ、そしてレエナさんがスーパーや診療所にいるところを思い出す。彼の母親はいつも大学教育が彼の音楽に対する夢よりももっと良いものをもたらすと思っていた。しかしながらダニーとそのバンドはイスラエル音楽界のシンボルとなったのだ。

年月が流れ、長かった頭髪はすっかり薄くなり、彼の妻は癌で他界。そして両親も最近になって他界した。しかしこの年を重ねたロックミュージシャンは今でも少年のままだ。その曲の一つにある、“イェレド ミツダケン…”―少年は成長する。

つい最近のこと、私はエルアル航空で、さして面白味もない機内誌をぱらぱらとめくっていた時に、懐かしい隣人のインタビュー記事を見つけた。そこで彼が61になったことを知ったが、私は今も軍役を終えたばかりの彼が、友人と共に夢を追いかけつつ地下室でセッションしている姿を思い浮かべることができる。

インタビューで彼は“ミニマリズムの段階(最小限の素材と手法でもって効果をあげること)”に来たと言っていた。ここにおいて、我々はクラヴマガの訓練生たちに類似点を見つけるのである。“プーギーの話から学べることがあるんだ…”

“永遠のイスラエルロックシーンの寵児であり続けることは簡単ではなかった…、ダニーは成功を積み重ねてゆくことをやめ、逆に削ぎ落としてゆくことにしたのである”

彼は言う、「私の両親が最近亡くなって、姉と共にアパートを片付けていた時に何だかよくわからないものがたくさん出てきたんだよ。とっくになくなったレストランのマッチ箱だとか、大量の書けないペンだとか、1958年からのガソリンスタンドの請求書とか、要するに彼らの考えた‘必須’宝物らしいんだ。考えさせられたのは、我々が人生の中で、いかに無用なものに過度に愛着を持ってため込んでしまっているか、ということだよ。それでその時、ふと頭に浮かんだのは、今こそ人生にもっとも必要なことは‘消去’であって‘入力’ではない、ということなんだ」

年を重ねたロック少年は指摘する。「旅行は鞄が軽いほうが楽だよ。だから私は自分のクローゼットの中身をすっかり片付けたんだ。常に事が簡単に運ぶわけではなく、手放すのが惜しいことだってある。その時は軽く撫でて、さよならしてしまうんだ。私は我が家の大きなレコーディングスタジオもすっきりさせた。ごちゃごちゃしたものを処分して、最低限のものだけのこしたんだ。そしてペンとノート、ギター。―食物の四大必須栄養素のようにね」

人生における重要度の順序は変わったか、との質問にダニーは答えて言う。「間違いないね」

単純化してしまえば、彼の重要度の順序は、まず家族、次にギターがくる。「家のどの部屋にもとりあえずギターと老眼鏡だけは置いているんだ。それはずいぶん有用だから」そして最後に食物が続く。(彼は外食が好きなのだ。)

エルアル機のコーヒーを飲みながら、シートにもたれた私の頭に浮かんだのは、空想中に過去と現在、未来を彷徨いながら、IKIの クラヴマガが採るべき方向とその影響であった。すでに独り立ちして、時には未開拓の分野にも進んみ、昔からのテクニックも採用してきたが、これらは“軽く撫でて、さよなら”の類であろう。

私たちはクラヴマガのミニマリストとなってきた。つまりもっとも必須のもっとも本能的な動きに近いところまで動きを削ぎ落としていくこと。我々は過去に囚われてはいない。未来を見据えて、所謂“身軽な旅行”をしようとしているのだ。ダニーが指摘したように、鞄が軽いほうが旅行は楽だ。エルアル航空が二個目の鞄に課金することを始めたのはこれがためではないか、と思う。それはともかくダニーの父親は以前エルアル航空に勤務しており、私は数年来彼の名刺を持ち歩いている。私の父が言うにはもしもの時にはこれを見せればよいとのこと。

イェレド・ミツダケン、少年は成長する。私は思い出す、70年代の初め頃、家の外に出ていたとき、ダニーの初めてのヒットソング“バルクのブーツ”がラジオから流れてきた。洗濯物を干している最中の母が言った。「いいわね。サンダーソンのところの坊やの歌がかかっているわ」

時の経つのは早いものである… Aging Rocker Krav Maga - English

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